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初午は伏見の稲荷大社で名物おいなりさんと焼鳥を

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鶉は国産の養殖を外側はカリッと、中はジューシーに焼き上げます。鶉の養殖は何とブロイラーよりはるか昔、明治時代から産業化されていたとか。現在、日本では野生の鶉は禁猟です。

鶉は国産の養殖を外側はカリッと、中はジューシーに焼き上げます。鶉の養殖は何とブロイラーよりはるか昔、明治時代から産業化されていたとか。現在、日本では野生の鶉は禁猟です。

和銅4(711)年2月の初午の日に、伏見の稲荷山に稲荷大神が鎮座された故事から、初午(はつうま)には稲荷神社に参るのが習わしとなっています。総本宮である伏見稲荷大社へ参拝する人々の楽しみの一つが参道グルメ。穀物の神様に仕える眷属(けんぞく)の狐(きつね)にちなんだ「おいなりさん(稲荷寿司)」と、稲を食べる害鳥への懲らしめとも伝わる「雀(すずめ)の焼鳥」が昔ながらの名物です。

鳥居そばの「袮(ね)ざめ家」もそんな名物を出す店の一つ。創業は戦国時代。豊臣秀吉公が早朝に稲荷大社に詣でた際に、ただ一軒だけ開いていたこの店でお茶を飲み、「祢ざめ家」という屋号を与えたのだとか。妻「袮々(ねね)」の字を使うことを許した程たいそう喜んだと伝わります。

「伝承があるだけで、証明できるもんがないのが残念なんですが」と話すのはご主人の大石雄一さん。20歳で店に入り、祖父、父の後を継いで店頭で名物の鶉(うずら)や鰻を焼いてきました。10年程前は雀も出していましたが、材料難で続けられなくなったそう。「実は鶉は稲荷大社がある深草の昔からの名物なんです」。ご主人の言葉通り、深草(ふかくさ)の鶉の歴史は古く、平安時代には歌に詠まれ、室町時代以降には鶉を籠(かご)に飼い鳴き声を競わせたといいます。

焼き上げられた鶉は、継ぎ足しながら使い続けてきた甘辛のタレの風味が芳しく、バリバリと小骨も味わえます。稲荷寿司はしっかりとした味付けで、酢飯に混ぜられた麻(お)の実が口中でプチプチと小気味よく弾けます。「地元の人は皆さん、初午の日はおいなりさんを食べる日やと思ってはるんで、普段の倍ほども出ます」。

店を開ける朝10時には、平日でも参道は観光客で賑わい、ご主人は店頭で鶉や鰻を焼きながら、英語で来店する外国人客に対応しています。10年前までは、これ程までに外国人客が増えるとは誰も想像しませんでした。思えば、500年という時の流れの中では、幾度となく世が移ろい、素材もお客さんも変遷する中、当代の主は逞(たくま)しく看板を守ってきたのでしょう。そんな中で変わらない習慣もあります。月に一度、早朝の参拝客が多い特別な日だけは、いまだに夜明け前から店を開けるのだそうです。お参りを終えた人がまだ薄暗い中にぽつりと灯る店の明かりを見つけ、ひと時の憩いを得る-お山の上まで登り熱心に参った人などは、さぞかしほっとすることでしょう。きっと秀吉公も同じで、屋号の命名には、稲荷のお山への敬意と、そこに寄り添って生きる人たちへの愛しみの念が込められていたに違いありません。

2020年の初午は2月9日。当日は午前8時から商売繁盛・家内安全の護符「しるしの杉」が境内で授与されます。ちょっと早起きして山に詣で、歴史に思いを馳せながら名物を頂くのはいかがでしょうか。

「うずら焼き」は食べやすいように切ってもらえます。「いなり寿司」は店内では7個、持ち帰りは4個、食べ歩き用は1個から販売。

「うずら焼き」は食べやすいように切ってもらえます。「いなり寿司」は店内では7個、持ち帰りは4個、食べ歩き用は1個から販売。

昭和初期に建てられた店舗は懐かしい雰囲気。

昭和初期に建てられた店舗は懐かしい雰囲気。

Information
祢ざめ家
京都市伏見区深草御前町82
TEL 075(641)0802
 

祢ざめ家 店主 大石 雄一さん

祢ざめ家 店主 大石 雄一さん

「味の決め手は甘過ぎず辛過ぎずに調整したタレです。お爺さんと親父がやっていた頃から、こうして店頭で鶉と雀と鰻を焼いてました。雀が手に入らなくなったのは残念ですね」。雀は大量に餌を食べる割に身が小さく養殖には不向き。一時は出回っていた輸入品も入らなくなり、国内産の雀は年々数が減少。猟師の高齢化なども重なって、流通量は激減しているそうです。



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