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Rinyo Kobo-The Workshop of “Orin” 響
家やモノを愛おしむ心に寄り添う柿渋の老舗

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大和仮名で書かれた「柿志婦゛」の看板がかかる店構え。柿渋を塗り重ねながら大事にされてきた壁板が老舗らしい味わいを放っている。こうした手入れは昔は折々に家人が行っていた。

大和仮名で書かれた「柿志婦゛」の看板がかかる店構え。柿渋を塗り重ねながら大事にされてきた壁板が老舗らしい味わいを放っている。こうした手入れは昔は折々に家人が行っていた。

 京都の柿と言えば洛西の大枝柿が有名ですが、もう一つの名産、南山城の天王柿をご存知でしょうか。渋柿の中でも特に渋(タンニン)が多く、柿渋の原料に最適です。平安時代以降、染料や塗料、薬用など様々に使われてきた柿渋ですが、化学塗料が普及するにつれ生産は減少。戦後には三大産地の備後(広島)、美濃(岐阜)、南山城でも原料を育てる農家や柿渋製造者の数が激減しました。

 撥水や補強の機能を持つ柿渋は、紅殻と混ぜたり、町家の外装や水回りに塗ったりと、京の町には無くてはならない日用品でした。「戦前、父親がやってた頃には京都市内にも5〜6軒の柿渋屋があったそうです」と話すのは、「渋新老舗」の六代目主人、水谷新太郎さん(80歳)。文政11(1828)年の創業時から、河原町二条を上がった今の場所で柿渋の製造販売をしてきましたが、昭和初期に河原町通の拡張で敷地が削られたことで製造をやめ、販売のみとなりました。現在は主に、南山城産の質のいい天王柿をメインに使って製造された柿渋を仕入れています。今では市内で1軒のみとなり、「もう柿渋だけではやっていけませんが、親父の実績だけは残したい、その思いだけで続けてます」

。 柿渋は7〜9月にかけて青い渋柿を採取・圧搾し、ろ過・殺菌を経て柿酵母で発酵させ、少なくとも1年以上をかけて熟成させます。緑色の搾汁が熟成を経て、独特の匂いのある柿渋色に育ちます。

 先祖伝来の蔵の中で熟成を続ける柿渋を、ご主人は毎朝欠かさず長い櫂でかき混ぜ、温度と濃度を計って記録しています。

 200年近く続いた老舗ですが、「お客さんのことを考えろというほかには家訓はありません」。柿渋の管理方法も、両親のやり様を見て覚えたものに、ご主人が独自の工夫を加えて確立したそうです。

 小売する柿渋は濃度が違う3種類と、無臭が1種類。昔ながらに、ごく少量から量り売りをしてくれます。「昔の京都はね、1年にいっぺんは家を点検して、不具合を直し、柿渋を塗って手入れをするもんでした」。柿渋は残しておくと固まってしまうので、少量ずつ買い求めて使い切るのが最善。ぬか袋で磨くとほんのりツヤが出て「独特の色になりますやろ」とご主人は目を細めます。「もう買う人も少のうなって、先は暗いです」とおっしゃいますが、実は老舗の火を絶やすまいと、息子さんの奥さんが週に2回ほど来て、蔵守りを継ぐ準備をしてくれているといいます。「家やモノを可愛がる」という心と共に、河原町の柿渋屋さんが令和の時代にも続いていきますようにと願います。

少なくとも100年以上は使われてきた一石樽には、渋の濃度別に5度、4度、2度の柿渋が入っている。その奥の蔵では柿渋の原液が保管されている。毎日かき混ぜることで品質が均一化するそう。

少なくとも100年以上は使われてきた一石樽には、渋の濃度別に5度、4度、2度の柿渋が入っている。その奥の蔵では柿渋の原液が保管されている。毎日かき混ぜることで品質が均一化するそう。

5度の柿渋を団扇に塗る。塗りたては明るい柿色が1カ月で暗褐色に落ち着き、匂いも気にならなくなる。

5度の柿渋を団扇に塗る。塗りたては明るい柿色が1カ月で暗褐色に落ち着き、匂いも気にならなくなる。

柿渋を塗った色見本。用途によって濃さを選び、乾かしてから重ね塗りを繰り返すことでより堅牢に濃い色になる。

柿渋を塗った色見本。用途によって濃さを選び、乾かしてから重ね塗りを繰り返すことでより堅牢に濃い色になる。

 

渋新老舗 水谷新太郎さん 妻の富美好さん

渋新老舗 水谷新太郎さん 妻の富美好さん

「最近は町家や古民家を手がける工務店さんや、芸術関連の学生さんが買いに来てくれたりします」とご主人。「柿渋を買ってくれた人がまた来て、こんな風に仕上がりましたと作品を見せてくれるのが一番嬉しいですね」と富美好さん。


Information
渋新老舗
中京区河原町通二条上る清水町340
TEL:075(231)2021

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