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-Samurai Armor- 守る
男の子の無事な成長を見守り続ける流麗な『京甲冑』
基本となる鍛金(たんきん)や、全体の形状と美を左右する縅し(おどし)加工をはじめ、一領の甲冑が完成するまでには数えきれないほどの複雑な工程が。

桜の季節が過ぎ、木々の新緑が日ごとに鮮やかさを増す頃、毎年巡り来る端午の節句。男の子のいるご家庭では兜(かぶと)や甲冑(かっちゅう)を飾り、わが子の健やかな成長を願います。

「関東では実在した武将の甲冑の写しなど実戦用の甲冑をイメージしたものが多いのですが、京甲冑、とりわけうちで作っているのは、武将が戦勝祈願のために社寺に納めた奉納甲冑を再現したものです。位の高い武士が身につけた、大鎧(おおよろい)といわれる種類の甲冑ですね」。そう語るのは、大正14年創業の錺(かざり)甲冑師・平安住一水の名を継ぐ今村達人さん。

ゆうに千点を超える部品から構成されるという大鎧は、馬上の武将を敵刃から守るという実用性と、多彩な匠の技が結集した美術工芸的価値を併せ持ちます。基本となるのは甲冑生地≠ニ呼ばれる金属工芸で、そこに西陣織や組紐、彫金、箔押し、木彫など、さまざまな京都の伝統工芸の技を駆使して一つの大鎧が作られていきます。各工程をそれぞれ専門の職人が担当し、最終的に甲冑として寸分の狂いなく組み上げていくのが甲冑師の仕事。「すべて受注生産で、製作期間はあらかじめ原型の決まっている大鎧で約半年、原型の設計から始める場合は調査研究を含めて1年以上を要します」。

現在4代目として腕をふるう今村さんですが、もともとは家業を継ぐつもりはなかったのだそうです。大学卒業後は百貨店に就職し、花形である婦人服部門に配属。「服飾の仕事をしていると時代の流行を取り入れたくなるもので、先代である父と『自分だったらこんな甲冑を作りたいな』、『ほな、やってみるか?』なんて話をしたことがあったんです。そんな矢先に父が体を壊して…『ああ、自分がやらなあかんな』と。自分が27歳の時でした」。

時代の変化をキャッチし続ける分野から、一途に伝統を守る道への転身に、当初は戸惑いも。「最初は道具の手入れから始めて、各工程の職人さんのもとを回って段取りを覚えること数年。その中で、道具の使い方を少しずつ、折々に教わっていくんです。最初は父との衝突もありましたよ。でも一つずつ工程を覚えていく中で、優れたものを守り、一筋に続けていくことに価値を見い出すようになっていきました」。

複雑かつ緻密な技と、技を支える経験や勘。その体得には一体どれほどの年月が必要なのでしょう。「父は亡くなるまで、『まだや』と言っていました。これで完成形だと思ったら、そこでおしまいだと。確かに一つ作っては何らかの新たな発見があり、それが次の挑戦につながっていく。まさに伝統は革新の連続なんですね」。

父から子へ受け継がれた匠の心を宿し、手作りの京甲冑は凜々しくも温かく、男の子の成長を見守っていきます。

基本となる鍛金(たんきん)や、全体の形状と美を左右する縅し(おどし)加工をはじめ、一領の甲冑が完成するまでには数えきれないほどの複雑な工程が。

基本となる鍛金(たんきん)や、全体の形状と美を左右する縅し(おどし)加工をはじめ、一領の甲冑が完成するまでには数えきれないほどの複雑な工程が。

 

錺甲冑師 平安住一水 今村 達人さん

錺甲冑師 平安住一水 今村 達人さん

大正14年の創業から代々受け継がれた高度な技を、日々磨き続ける今村さん。「うちの甲冑が目指す姿は質実剛健ではなく流麗=B京都らしい、しなやかな美を表現していきたいと思っています」

大鎧 金小札(こざね)赤糸縅(おどし)。実物同様に全ての部位を取り外せるため、数十年を経ても修繕が可能です。

大鎧 金小札(こざね)赤糸縅(おどし)。実物同様に全ての部位を取り外せるため、数十年を経ても修繕が可能です。

甲冑製作に使われる道具の一部。各職人さんが自分の使い勝手のいいように加工しています。

甲冑製作に使われる道具の一部。各職人さんが自分の使い勝手のいいように加工しています。


Information
京都甲冑(株)
京都市山科区御陵御廟野町26-29
TEL:075(593)7555

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