
今から、四百三十年ほど前の七月一日。歴史を大きく変えるほどの日本史上の重要事件がありました。言わずと知れた「本能寺の変」です。天下人に最も近づいた織田信長が家臣に謀反を起こされたこの事件。首謀者とされる明智光秀のその動機には、今も尚歴史ファンに様々な憶測を想起させ、フィクションを作り出させるほどの強い引力が宿っています。
夏の強い日差しを水面がキラリと照り返す白川のほとり。東山三条を流れに沿って少し下れば、光秀のその魅力をお菓子に託した銘菓「光秀饅頭」を拵(こしら)えるおまんやさんが現れます。屋号は「餅寅」。ご夫婦と息子さんで営む京都らしい和菓子屋さんです。
「餅寅は、江戸時代より代々光秀さんの祠をお守りしてきました」と女将の川嶋千鳥さん。そう、餅寅さんのすぐ脇の路地をひょいと入ったところに明智光秀を祀る首塚がひっそりと佇んでいます。「羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れ、近江坂本に逃れる途中、農民に襲われ自刃したという光秀さん。家来が光秀さんの首を携え、知恩院近くまで辿り着いたのですが夜が明けたため、この地にその首を埋めたと伝えられています」。
長らく風雨にさらされながらも、大切に補修されてきた跡がうかがえる五輪塔墓。そしてその奥に、光秀の木像が厨子の中に納められています。「その昔は光秀さんの遺品などもあったという話もありますが、光秀さんを慕う方々が持って帰ってしまったのかもしれんね」と、祠に添えられた明智家の家紋である桔梗の前で。
「代々、そんな数多くいらっしゃる光秀の足跡を辿る方々に記念になるものをと、こさえたのがこの光秀饅頭なんです」と女将さん。もちろん、光秀饅頭のてっぺんに見える焼き印も桔梗です。ぷっくらまん丸の光秀饅頭をふたつに割ると、顔をのぞかせるのは甘さを控えたたっぷりのあんこ。女性でも片手にかるく収まる程良い大きさです。
知恩院や青蓮院からの道すがら、白川のせせらぎで涼をとり、光秀さんのあんこで疲れを癒す。そんなお散歩がとても似合う京都らしい場所に餅寅さんはありました。
光秀饅頭は、黒糖の生地につぶあんが入った飽きのこない味わいと、抹茶生地に白味噌あんを収めた京都の風情漂う2種。桔梗の焼き印が押されます。
厨子の中に鎮座する明智光秀の木像。普段は鍵が掛けられており、格子越しに見ることができます。
餅寅
京都市東山区白川筋三条下がる梅宮町475
TEL:075(561)2806
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