
神幸祭で御霊を移された三基の御鳳輦。
氏子地域を巡行し西ノ京の御旅所へ巡行します。
数ある京都の秋祭りの先陣を切り、十月一日から五日間、「ずいき祭り」が北野天満宮で行われます。その名の由来となったサトイモの葉柄芋茎(ずいき)"で屋根を葺く、ずいき御輿(みこし)が目を惹く祭りですが、この祭礼の奥深さは然(さ)にあらず。ずいき御輿を担ぐ、西ノ京を中心とした氏子さんたちの祭りという一面と、神社の鳳輦(ほうれん)が巡行する神事という両面を持ち合わせている祭事です。
「北野天満宮は、菅公菅原道真を祀った神社であることは、ご存じの通り。太宰府に左降され生涯を閉じた菅公の御霊と共に神人(じにん)たちが、北野天満宮のある西ノ京に戻り、農耕の神としても崇められた天神さんに、新穀・野菜・果実などをお供えし、収穫に感謝したのが、そもそもこの祭りの起こり。」そう語るのは、宮司の橘さん。明治時代に入り、現在のようなずいき御輿で西ノ京一帯を練り歩く氏子さんたちの祭りという形が出来上がったのだそう。「世の中が落ち着いた江戸時代頃から、ずいき御輿は神人と氏子たちによって大切に栽培された野菜や草花を使って作られてきました。都市化が進む現在も、西ノ京の氏子さんの手による生の芋茎で屋根が葺かれているんですよ」とのこと。
「その昔、現在八月に行っている北野天満宮の本殿祭と十月のずいき御輿の巡行は一体だった」と禰宜(ねぎ)の梶さんは仰います。「応仁の乱により分断され、ずいき御輿の巡行が途絶えていましたが、氏子さんの手により復興され、十月に練り歩くようになりました。現在、十月四日にずいき御輿と、菅公の御霊をお迎えする御鳳輦(ごほうれん)が同日に巡行するのは、その名残りですね」。
ひとつの祭りの中に、二つの祭事が同居するずいき祭り。同日に巡行しますが、由緒の違いから御輿の巡行順路と祭列の鳳輦の巡行順路が異なるのも見どころ。十月四日の巡行にお越しの際は、こんな歴史的な背景も交え見てみると、ずいき祭りの奥深い世界に触れることができるのではないでしょうか。 |
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十月四日の還幸祭は、別名 おいでまつり。「天神さんが巡行を終えて本社にお帰りになるだけではなく、菅原道真公の御霊が初めて北野の地においでになった由来を、再現するという意味があるんですよ」。 |