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 -Hokodo- 受け継ぐ、祭り
休み鉾に想いを込めて

休み鉾に想いを込めて

 京都の夏は、祇園囃子の鳴り響く「宵山」と、炎暑のなかをゆく「山鉾巡行」で前半でハイライトを迎えます。でも…、ひょっとして、7月14日からの宵山、17日の山鉾巡行だけが、「祇園祭」の全てだと思っていませんか?
 実は、祇園祭は7月1日の「吉符入り」に始まって、2日は「くじ取式」、3日は「出陣の船」といわれる船鉾の御神体、神功皇后の神面改め。それから神事、祭りが引き続き、24日の「還幸祭」、28日の「神輿洗」と、ほぼ一カ月も祭り尽くしの日々が続きます。
 祇園祭の歴史は平安時代に始まり、室町時代からは次第に豪華絢爛たる山鉾が登場するようになったといいます。ところが、長い歴史の荒波によって、現代では姿を見られなくなった「休み山」、「休み鉾」も。
 今からさかのぼること146年、幕末の元治元年。あの坂本龍馬の時代。長州、薩摩の軍勢が激突した蛤御門ノ変。御所の蛤御門は焼けることなく、また、長州・薩摩はやがて同盟し、維新の立役者になっていきましたが…、「ナンギやなぁ〜」と悲鳴を上げたのが京の人々。飛び交った鉄砲の音から「どんどん焼け」と名が付いた大火によって、京の町も、祇園祭の山鉾の幾つかも燃えてしまいます。
 それ以来、巡行に姿を見られなくなった「休み鉾」「休み山」の一つに、「大船鉾(おおふねぼこ)」があります。現存する船鉾が出陣の船であるのに対し、大船鉾は「凱旋の船」。それぞれの船首には霊鳥鷁(げき)と金箔の龍が飾られ、「龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)」として対をなしていたのも、今では龍の姿が見られません。
 悠久の歴史を刻んできた京都に生きる人々は、一方で、歴史を紡ぎ出す織り手でもあります。
 「祇園祭というのは山鉾巡行だけやないんです。大船鉾を復元するにも、維持していくのにも莫大な資金が必要です。昔とはすっかり変わった町では実現しにくいでしょう。しかし、かつて大船鉾がそびえ立った下で、町の人々が独特の祇園囃子を奏でた“囃子”を復元することで、大船鉾に若い人が集まり、次代に受け継いでいくことも、伝統を守っていくことやと思うんです」。と語るのは、大船鉾囃子方代表の佐々木定寿(ささきさだとし)さん。
 ♪コンチキチン…の祇園囃子は、山鉾によって微妙に音調が異なります。下京区新町通四条下ル四条町、昔、大船鉾がそびえた鉾町(ほこちょう)の調べは、佐々木さんたちの手によって平成9年、130年ぶりに復元されました。
 祇園祭を支えた町衆の暮らしも変わり、町の景観も変わったなか、大船鉾は “休み”でも“幻”でもなく、祭囃子のなかに生き続けています。

 

大船鉾囃子方代表 佐々木定寿さん

大船鉾囃子方代表 佐々木定寿さん
呉服の問屋が並んだ新町通四条下ル四条町の姿もすっかり変わり、町衆の子孫たちも転居、老齢化しています。「そんな時代であっても、単なるお祭りではなく、伝統ある神事として守りつづけたいですね」

休み鉾に想いを込めて
江戸時代に刊行された「祇園會細記」(宝暦七年)より
江戸時代に刊行された
「祇園會細記」(宝暦七年)より
大船鉾囃子方
TEL 075(351)3518


はしやすめ「丑の刻参り」

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