♪月はおぼろに、東山… 山紫水明の都に連なる東山三十六峰は、いったい、どのやまを指すのかも、 その呼び名や文字も、折々に変化を見せる不思議な山々です。 歴史と伝説でつづられてきた東山の魅力を、季節ごとにご紹介してまいります。
大比叡ケ嶽という主峰の名は、まさに横綱の風格。平安時代には「山」といえば比叡山のことでした。夏も涼風が吹くこの霊山へは、左京区修学院から坂を歩いて登ること2時間半余り。坂の名も「雲母坂(きららざか)」と美しい。
京都三大祭の一つ「葵祭」に先だって、5月12日、祭神の玉依媛命(たまよりひめのみこと)・賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)を迎える「御蔭神社(みかげじんじゃ)」があるところから、別名「御蔭山」。この神事は御蔭祭といいます。
赤山の赤山禅院に参詣すると「集金がしやすい」という巷説から、「五日講」の御参りが、「五十(ごと)払い」の風習に転じたとされています。10月の「へちま加持」でも有名です。
謎の山の一つめが登場しました。標高は280メートルで、御生山や赤山よりも高いのに、地図の上では山の名は記されていません。修学院離宮の庭園の中にあり、もちろん限られた人しか登れません。
どこからどこまでが葉山なのかほとんどわかりません!?観音堂があり、毎月17日と18日には本尊の三面馬面観音が開扉されます。
宮本武蔵の「一乗寺下り松の決闘」で有名。でも、一乗寺がこの山のどこにあったか、定かなことは不明です。ふもとの「野仏庵」の庭園は見ものです。
江戸時代の豪商・茶屋四郎次郎の山荘があった山。現在、低い頂上へ向かう道は、京都造形大学内の石段に。
かつて頂上にあった勝軍地蔵が北白川山へ移転したことから、「勝軍地蔵山」、「瓜生山」の名は複雑に絡み合ってヤヤコシイ。
“旧瓜生山”から遷座した勝軍地蔵は秘仏で公開されないが、江戸の昔には五十日間も開帳されたといいます。