元旦、京都では丸餅・かしら芋(里芋の親芋)のお雑煮で新年を寿ぎ『角が立たぬよう、人のかしらになれるよう』にと祈ります。家々によって多少の違いはありますが、もちろん白味噌仕立です。
今号は、京都御所からほど近い天保元年創業「本田味噌本店」さんを訪ね、味噌醸造の丹波杜氏の流れをくむ本田家七代目御当主本田茂さんにお話を伺いました。
「戦争中の中国大陸でのことですが、厨房で働いていた中国の人が、黒い奇妙な物を鍋に入れるのを見かけたんです。『これは何か?』と聞くと、『醤だ』という答えが返ってきました。今では中華料理で親しまれるようになりましたが、自然醗酵させた調味料なんです。奈良時代に鑑真和尚の一行によって製法が伝えられた醤をもとに、日本で作り出されたのがお味噌とお醤油です。お味噌にも白味噌、赤味噌(豆味噌)がありますね。赤味噌は干飯といっしょに兵糧にされました。武田信玄や徳川家康の領地だった地方は、今も味噌の産地として知られている理由はそこにあります。一方、兵糧としてではなく、御所や公家の食膳に上った白味噌には米がたっぷり使われています。米麹というのは甘酒ができるくらい甘いんです。砂糖の無い時代、白味噌の甘味は貴重なものだったんですよ」。
長い歳月をかけて、黒くて辛い醤から甘い白味噌を作り出し、お雑煮はもちろんのこと、和菓子や西京漬けまで生み出してきた京の食文化。その深みとバリエーションの広さを、本田さんは談笑をまじえながら語ってくださいました。
お店の奥に、江戸時代の小さな秤が置かれています。「これはお味噌を計った秤じゃないんです。御所御用のお味噌を納めていた先祖が、代金として銀を戴いていたので、その重みを計った秤なんです。御所の支払いはみな銀だったそうです。東京遷都の際、店を移すようお声を掛けて戴いたのですが、江戸といった時代から水の質に恵まれなかった地ですので、『京でこしらえた味噌を飛脚で献上いたします』と当時の主がお断りをしたんです。お味噌を作るには水がとても大切です。京都はその水に恵まれた地です。そのころ、京都のことを西京と呼びました。それで、ウチの味噌は今でも”西京白味噌“と言うんです」。
昔、京の水で洗い上げた女性を真の美人と言ったとか。老舗の人たちが京の水で仕込み、「わが子を育てる気持ちで…」手塩にかけた”色白“のお味噌は、今年も全国、そして海外でも、多くの人に愛されることでしょう。 |
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かつてはハーレーの大型バイクを乗りこなした本田さん。御苑近辺の散策が現在の趣味です。白味噌が結んだ宮廷文化とのご縁は、今も本田さんの心に生きています。
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