京都市内には数多くの「世界遺産」がありますが、賀茂別雷神社(上賀茂神社)もその一つ。創建は明らかでない程古いと言われています。毎年、九月九日の重陽の節供には「烏相撲」という珍しく、そして微笑ましい神事が執り行なわれます。
「初代天皇の神武帝が九州から大和国に向われた時、上賀茂神社の祭神・賀茂別雷大神のお祖父様が八咫烏(やたがらす)となって先導しました。その功績によって賜ったのが山城国の北部一帯と伝えられています。上賀茂一帯に住んだ一族の末裔の人々を”烏族“とも言います。この八咫烏伝説と宮中の行事としての相撲が結び付き、烏相撲が行なわれるようになったのです」。由緒を教えてくださった山田健二権祢宜(ごんのねぎ)は、毎年、烏相撲の進行役を務めていらっしゃいます。
上賀茂神社の由緒も神代の昔にさかのぼりますが、相撲の歴史も『日本書紀』の時代から。ところが…
「最近は、相撲をとる男の子がなかなかいないんですよ。だから、上賀茂小学校の氏子の子どもたちにお願いしています。今の子どもはフンドシ(まわし)なんて締めたことがないですから、締め方から指導しないといけないんです。なかには、恥ずかしくてフンドシが出来ないものだから、とうとう土俵に上がれなかったという子もいるんですよ(笑)」。千数百年の京の伝統を守り続けるためには、意外な苦労もあるようです−。
当日は、烏帽子・白張姿の刀祢(神官)がピョンピョンと烏のように横飛びし、「カァ〜カァ〜カァ〜」と烏鳴きした後、二組に別れた少年力士が姿を現わし名勝負・珍勝負が繰り広げられます。
それにしても、中国の金烏・インドのガルーダ、ギリシアの不死鳥など世界にはさまざまな霊鳥伝説がありますが、三本足の八咫烏というはユニークな存在ですね。
「烏は人の生死を察知する神聖な鳥で、赤ちゃんが誕生する時にも明るい声で鳴くんですよ」。人と自然が共存する上賀茂神社での山田権祢宜の言葉です。 |
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おじいさんが神職、父親は会社員という家庭に生まれ、神道に魅せられ、研修で「このお社で務めたいッ!」と熱願した上賀茂神社に奉職。これも神様のお導きでしょうか。
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